追悼コンサートの準備始まる
四十九日法要のことを、大練忌(だいれんき)といいます。亡くなった人にとって、自分にとって、そして両間の関係性において、このたびの不幸はどういうことだったのだろう、と考える(練る)。よく練れれば大練。練れなければ未練が残ります。また、百ヵ日法要のことを卒哭忌(そっこうき)といいます。哭(こく)は慟哭の哭。嗚咽して激しく泣くことをいいます。100日が経つのでこれを期に泣くのを卒業しましょう、という意味です。
今回の震災での何万人というかたの死を思うとき、そう簡単には練れないし、卒業することもできないでしょう。一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、、、、三十三回忌、五十回忌。私たちは何回、何十回と手を合わせていかなければならないのだと思います。
では、そう簡単に練れない、卒業できるものではないからといって、供養の場を先送りしてしまったら、それはおかしいわけで、私たち坊さん仲間は近々やってくる百ヵ日法要をどうするか、考え始めています。
私たち内陸部の坊さん有志は、石巻の洞源院さんを会場にした百ヵ日法要にまぜていただくことにしました。洞源院さんは、サンファンヴァウティスタ号が停泊している石巻市渡波の高台にあります。今も80人の避難者がいます。ここで、亡くなられたかたのご冥福を祈ろうと思います。
そして、そのあと“歌の夕べ”を被災者やボランティアのみなさんとともに過ごしたいと思います。歌手の南こうせつさんとエポさんが来てくださいます。
いち早く現地に入り、避難場所になっている体育館や仮設住宅の飯場で歌をうたってあげるのも“歌のボランティア”のひとつの方法だったでしょう。しかし私は、まだ行方不明者がいる、これからの見通しも全くつかないという状況で、被災者は歌を必要としていただろうか、という疑問がありました。一回“区切り”をつけようよ。歌はそれからでいいんじゃない…。
今回の“歌の夕べ”は、百ヵ日法要とセットです。亡くなったかたのご冥福をお祈りして区切りをつける。そしてその場(=本堂)で、歌う人と聞く人がちゃんと向きあって、歌を共有する。そんな行事ができたら良いなと考えています。
詳細は追ってお知らせします。